RME導入事例
バッハとライヒ。言わずと知れた西洋音楽の基礎を構築し「音楽の父」とも呼ばれる作曲家と、ミニマル・ミュージックを生み出した現代の作曲家ですが、この二人をレパートリーに持つ演奏家は多くありません。
そんな中「kuniko plays reich」、「cantus」、「Xenakis: IX」など現代音楽をレパートリーに世界的な大ヒットを収め、Linn Recordsと契約する唯一の日本人アーティストである加藤訓子氏がバッハ作品を手がけられました。
加藤氏の目指す音楽とは。そしてその音楽に込められた思いを作品としていかに残したのか。2017年にリリースされた「J.S. Bach: Solo Works for Marimba」と2018年にリリースされた最新作「Reich: Drumming」を通じて、加藤訓子氏とプロデューサー兼エンジニアの寒河江ゆうじ氏にお話を伺いました。
加藤さんは今まで現代音楽を取り上げられることが多かった思うのですが、2017年にバッハ作品を、そして2018年に原点回帰ともいえるようなライヒ作品をリリースされました。音楽史の中で対局に位置するような2作品をなぜ選ばれたのかでしょうか?
加藤:2017年にリリースしたアルバム「J.S. Bach: Solo Works for Marimba」(以降「B A C H」と記載)は、タイトルの通り、マリンバのための無伴奏作品集です。バッハの時代には当然マリンバという楽器はなかったのですが、バッハの作品の中から何がマリンバに合い、どこまで楽器としての可能性を引き出せるかをコンセプトとして、バッハの無伴奏ヴァイオリンソナタと無伴奏チェロ組曲をフィーチャーした選曲となりました。
世界中にバッハ・ピュアリストと呼ばれる純粋主義な方々もいるほど、バッハの作品は幅広く聴かれている楽曲であることはご存知の通りです。特に日本にはバッハ・ファンが多いようですが、そんなバッハ・ファンの方たちにも聴いていただけるようなアルバムを制作したいと考えていました。クラシックでのマリンバはピアノやヴァイオリンと比較すると作品も少なく、またそれらの楽器と同じようなレベルで勝負できるのかも分からず、今まで現代音楽をメインとして演奏してきたので若干のハードルを感じていました。
しかしそのハードルを飛び越えたいと思い、クラシックの世界へ打って出ることにしたのです。
リリース後は世界中で議論を醸し出したのですが、ドイツのクレシェンド誌やBBCマガジンなど世界的な批評家達がファイブスターを下さり、「マリンバをクラシックの楽器として扱わざるを得ない」と評価いただけたことが嬉しかったです。
日本でも発売当初から何度も欧州に再オーダーをかけていただき、タワーレコードやHMVなど全国のレコードショップでクラシック部門第一位という異例の結果を出すことができ私自身大変驚きました。
また2018年にリリースした「Reich: Drumming」(以降「ドラミング」と記載)は、皆さんご存知のスティーヴ・ライヒが70年初頭に作曲した大作で、今でいうトランスやミニマル・ミュージックの原型と言っても過言ではないでしょう。
ライヒの作品は、私が欧州時代に参加していたアンサンブル・イクトゥスやダンスカンパニー・ローザスで初演を行った楽曲などもあり、世界中を回って度々演奏を行っていました。その後ソロ活動にフォーカスするのですが、ライヒのカウンターポイント・シリーズ(「kuniko plays reich」「COUNTERPOINT」)を2011年、2013年にリン・レコードからリリースしました。その当時からいつかやってみたいなと思っていた楽曲が「ドラミング」です。
2018年に愛知県芸術劇場よりダンス作品の音楽監督をコミッションされました。舞台のタイトルは「DOPE」、そしてその音楽として選んだのが「ドラミング」です。
ライブのソース作りから始まり、レコーディングに1ヶ月以上、アルバムとして完成するまでに約1年がかりとなりました。ライヒ、ペルト、クセナキス、バッハときて、また自然にライヒに帰ったという感じです。この作品はもともと奏者12人のアンサンブル(9人の打楽器奏者、2人のボイス、ピッコロ)のために書かれていますが、全パートを1人で演奏しているので、まさに多重録音の集大成とも言えるべく作品となったと思います。
ただ多重録音を行うことがコンセプトや目的ではなく、本来の作品の意図や一つ一つの音の効果と音色、それらをいかに引き出せるか、その作品としての素晴らしさをもっと皆さんにお伝えしたいという気持ちが常々あります。
「ドラミング」では実際にアンサンブルによるライブ演奏を行った経験を活かし、すべての要素を一人でコントロールすることでアンサンブルでは決して表現しきれない最上のディテールを実現したいという思いが重要なコンセプトかつオブジェクティブでした。
マイキングも楽譜も直しては録って、また直しては録ってと、すべてのパートを録り切るまでトライ・アンド・エラーを繰り返しています。
またライヒ作品は「録音」がすべてではなく、その後のミックス作業も肝になります。約8ヶ月におよぶミックス・ワークはライヒさんと直接やりとりし作業を行います。いつもながら「いつ終わるのだろう?」とも思える不安と忍耐の日々でした(笑)
最後に完成したプリマスターを聴いたライヒさんからもらったメッセージを読んで、私達の意図がコンポーザーにも伝わっていたことが分かり本当に良かったです。
「B A C H」は、エストニアの教会で収録を行なったとの事ですが、なんという教会なのでしょうか?また、そこでの録音はどのような形で行われましたか?
加藤:これまでの私のアルバムは一人でいくつものパートを担当する多重録音のイメージが強いと思いますが、今回はアコースティック、そして楽器一台でのソロ演奏として勝負をかけました。その背景には、エストニア・タルトゥのヤンニ教会との出会いがあります。
13世紀のメディバルチャーチ、全体が素朴な煉瓦造りで天井が木で平らになっており、マリンバの打音がクリアに聴こえる上にその余韻が通奏低音のようにいつまでも続きます。
「ここで何かを残したい」という一心で教会への申し入れをしてそれが叶い、それから「何を演奏しようか?」と思った時にバッハしか頭に浮かんでこなかったのです。
そこから選曲を行いましたがCD2枚分という膨大な量になってしまいました。
エストニアには2回足を運び、一ヶ月以上かけて録音しています。マイキングも色々と試しましたが、どこまで試行錯誤を行ってもこれで完成という気持ちになれず、「ただただここでずっと演奏していたい。まだまだ試したい。」と思い続けていました。録音作業をここで終わりにしなければならないという時間が来てしまった時は、「終わってしまった」という愕然とした思いと、体と頭がぼーっとしばらく再起不能状態でしたね(笑)
ヤンニ教会と出会い、その空間と向き合って出た答えが「B A C H」だったのですね。
寒河江さんにお聞きします。最新作の「ドラミング」では再び多重録音に取り組まれるわけですが、どのような録音空間だったのでしょうか?
寒河江:「ドラミング」の録音は、愛知芸術文化センター内の一室、60平米くらいの空間で天井は約3メートルくらい、壁や天井に軽く防音処理を施した、そして非常にしっかりした二重の防音ドアに守られた、いわば一昔前のMAスタジオのような部屋で行いました。基本的にデッドな空間ですが、天井と壁、そして床からの反射音が、場合によってはありがたく、また場合によっては厄介な要素でもありました。
テスト録音を通して、楽器の位置やマイクの位置、マイクのポーラパターンの操作や反射音の対策など、いろいろ試した結果ここで行こうという事になったのですが、これは、ひとつには最終的な全体像(音空間)を想定した上で(詳しくは後で述べますが)録音に於けるテクニカルな要件を満たすことができるだろう、という技術的な判断です。
そしてもう一つ、彼女の録音では2週間ほどの録音セッションを数回重ねることは稀ではありませんが、1日8時間を超える作業を長い期間を通じて行う上で、彼女がその場所を自分の場(ホーム)と感じることは大変重要な事です。特に今回は、試行錯誤を重ねながらじっくり組み立てて行くような録音作業が必要でしたので、テスト録音を通して彼女がこの空間を自分のアトリエのように感じることが出来たことが、この場所の決定に大きく関与した事はいうまでもありません。もちろんこれは現地スタッフの方々の細やかな配慮や、この録音に協力いただいた様々な方々の協力の賜物でもあります。
「ドラミング」は本来アンサンブルで演奏されていた楽曲ですが、多重録音によるソロ・アンサンブルにということで苦労された点などはありますか?
寒河江:この曲はボンゴ(音程の指定あり)、マリンバ、グロッケン、そしてボイスと口笛とピッコロで構成され、非常にシンプルな基本フレーズを利用して万華鏡的な変化を作り出します。例えると「あ・い・う・え・お」というフレーズと「い・う・え・お・あ」と、更に「う・え・お・あ・い」etc が重なり合うことで、また追い越し(=フェーズ効果)て行くことで聴感上様々なフレーズが万華鏡のように生成されては消えてゆく。そして各楽章が同じ構造を持ちながら、しかし、各楽章単位でそれぞれ独自の世界観と色彩を持っています。
彼女自身、この曲の演奏は既に経験済みで、だからこそ注意すべき点、留意すべき点が少なからず最初からあったのですが、とにかくどの楽章も、それぞれの楽器のそれぞれのパートのそれぞれのフレーズが明確に聞こえる事が重要でした。上の喩えで言えば「あ・い・う・え・お」の発音をきっちり捉える事、この一見当たり前のように思える事が、この曲においては結構難しい事なのです。何しろ、同じ8分音符であっても、ボンゴは「あっ」、マリンバは「あ~」、グロッケンは「あ~~~~~~」だったりしますから。
つまりそれぞれの楽器のアタック音とその直後の音程を強く感じる部分のバランスを楽器ごと、またフレーズごとに考慮しなければならないのです。しかも、同時に同じ楽器でパートが重なった場合=和音になったときの響き感と各フレーズの分離感(基音と倍音のバランス)を考慮しなければなりません。
前作のバッハの録音では、それぞれの声部の独立性と協調性は彼女が演奏の中ですべて制御して、それを一発録りしていますので、マイクの選択及びマイク位置に関しては、その場で彼女の演奏を聞きながらベストな選択ができましたが、ドラミングは多重録音で組み立てて行く事になりますので、常に最終的な全体像を予測しながらの作業でした。
予測、というのは文字通り予測で、というのも、例えばバッハの対位法はその根底に常に和声の概念があり(=和声法に則っている)、現れるべきラインはスコアの中にきちんと見て取れます。しかし、ライヒの対位法はモーダルで、現れるべきラインはそれぞれの声部の組み合わせの上で「自ずと現れてくる」という構造ですから、どんなに注意深くスコアを眺めても「自ずと現れてくる」であろうラインを明確に見つけ出すのは簡単ではありません。この事はまた後で触れますが、この見えないラインが立ち現れてくる、と言うことが最終的なアンサンブルの形成に於いて実に大事な鍵を握っているのです。
今回の録音ではどのような機材を使われたのでしょうか?
加藤:私のレコーディング・プロジェクトでは、2015年リリースの「Xenakis: IX」よりNEUMANN D-01が欠かせなくなっています。このマイクは他のどのマイクよりも打楽器のダイナミクスの幅と音が減衰していくところを余すところなく捉えてくれます。同時にこのマイクを活かすためRME DMC-842マイクプリも欠かすことができません。これら以外には特に大掛かりな機材は何もなく、基本的にマイクポジションの調整で音を作ります。プロデューサー兼エンジニアでいつも私の音づくりを一緒にやってくださっている寒河江ゆうじさんと、最低でも2~3日はマイク位置の調整にじっくりと時間をかけています。
セッション中にも数センチ、数ミリ単位でポジションを修正しながら、演奏も録音も互いにとことん妥協することなく、納得の行くまでマイキングで音色作りを行いながら一歩一歩進んで行き、最終的には「音がクリアに目の前に開けてくる」ことを念頭に、贅沢に時間を費やして制作しています。それらのチャレンジの結果、楽曲が持つすべてを作品として表現した時にアルバムとして皆様に提供できるのかなと思います。
寒河江:ある程度音源に近い距離で、強力なアタックに耐え、アタック以降の音程感豊かな部分を余すところなく捉え切る事、そして基音に対して程よい倍音を捕まえる事、さらに多重録音である事などを考慮していろいろ試した結果、最終的には全てのパートを1本のマイク(NEUMANN D-01)で、つまり1パートにつき1チャンネル(モノ・トラック)ですべてトラッキングしました。
これは今回の楽曲と彼女の意図を反映してのことで、この選択が今回の録音に見合っていた、ということです。ちなみに「ドラミング」と同じ1970年代の作品で革モノ、金属、打鍵楽器と似た様な楽器構成の曲であるクセナキスのプレアデスでは、同じく多重録音の手法を用いながらも1パートにつき3本のマイク(トップにNEUMANN M149(アナログ)、ABにNEUMANN D-01(デジタル))というデジタル・アナログ混在のまったく違うアプローチでした。
NEUMANN D-01はクセナキスの録音以降、好んで使用しているデジタルマイクですが、RME DMC-842との組み合わせで、そのポテンシャルを余すところなく引き出すことができます。さらにDMCからコンピュータまでMADIで繋ぐことにより、その広大なダイナミクス・レンジや比較的フラットな周波数特性、ラージダイヤフラムの音の立ち上がりやその高密度感を遜色なくトラックに記録する事ができます。しかも例えばDMC側からD-01のポーラパターンを15段階で変化させることが出来るのですが、今回は比較的音源に近い位置から「直径60センチ程度の範囲を中心」に狙うため、その都度ベストなポーラパターンを選択しながら録音しました。
それぞれの楽器でアタックや音程、また和音になった時の響き感やフレーズの分離感はどのように録音されたのでしょうか?
寒河江:それぞれのパート毎に解説いたします。
ボンゴ:彼女はこの曲でよく使われる細めのスティックではなく、比較的太めの”バチ”を使っているのですが、大した共鳴胴体を持たない代わり、革に相応の張力がかかっている状態ですから、きちんとボンゴを鳴らしきった場合のアタックの強さは相当なものです。胴鳴りよりも圧倒的にアタック音(=インパクト)が強くなりますから、比較的近い距離からの録音では、インパクトの強さを失わずに音程感をよりコンスタントに感じる胴鳴りをバランス良く捉えるポイントを見つけなければなりません。同時に近距離がゆえ、ボンゴのスタンドやリムなどの金属部分の不要な共鳴音(=ノイズ)を避ける事や、不要な部屋の反射音を回避することにも留意しなければなりませんでした。
マリンバ:ライヒが指定するゴムのマレットを使用しますが、軽やかな「コン」というアタックに膨よかな木の温かみのある音色、ではなく、その木製の乾いた要素を少し湿らせた様な効果があり、同時にテーパー感(低域から広域に至る音色感)の違いが相対的に均質化されます。これが数パート重なった時に「自ずと現れるライン」の生成の鍵にもなるのですが、同時に厄介なのは、内声に相応する音が埋もれやすくもなります。彼女によって明確に演奏されたフレーズを、その明瞭な発音のままトラックに記録するには、ラバーのマレットが作り出すちょっと湿ったアタック音とその後に続くオルガン的な音色の部分をうまくバランスするポイントを探さなければなりません。また、一つのパートで使う音域は数オクターブに及ぶのではなく比較的狭い範疇に収まりますので、パートごとにその使用する音域を中心に取り込む様マイクを移動しました。
グロッケン:これは先に例にあげた様に1音叩いて放って於けば、途中でミュートしない限り鳴りっぱなしです。低域から高域まで満遍なく相当に長い減衰を持ちます。アタックは非常に強く明確なのですが、そのサスティーン(あるいは減衰)の長さゆえ、簡単にクラスターになり易い訳です。つまり、高い金属音のクラスターの塊がウワンウワンなっている状態に陥り易く、音程が聴き取り難くなり易い、と言うことです。ここでも、アタックとその後に続く音程感を強く感じる部分、そしてある程度早い段階で減衰を感じる事ができる様バランスを考えてマイクを設置しなければなりません。更に、この楽器は通常本体のケースが共鳴体の役割を果たすのですが、打鍵のインパクトがその支えとなる土台を通して共鳴台に伝わることで、音程とは無関係な低い周波数のノイズ(文字通り箱を叩く様なノイズ)を発生します。オーケストラの中で客席から最も遠い位置に設置された場合、観客はこの共鳴台の出すノイズに気がつくことはないと思いますが、目の前で聞いた場合は明らかに気がつきます。何しろ一音ごとにこのノイズが発生するわけですから、比較的近い距離にマイクを設置するには、どうしてもこのノイズを避けなければなりません。最終的にこの問題は、共鳴台を外してスケルトン状態で演奏して頂くことで回避しました。
ボイス、口笛、ピッコロ:先に挙げた三つの楽器とは反対に、これらはどれも音の立ち上がり(アタック)が比較的遅く、アタック以降の時間的あるいは音色的な(必要があればもちろん音程的にも)変化を自ら作り出すことのできるものです。そのことから、これらのパートが2楽章以降の各楽章で出てくる明確な意図があるであろうことは容易に推察出来るのですが、しかしその明確な意図を明確に理解することは実は容易ではありませんでした。この事が先に挙げた「予測」にまつわる中心的な部分に深く関わっていたのです。
ライヒはスコアに記した文章(曲の説明と諸々の指示及び留意事項など)の中で、例えばボイスを楽器(この場合マリンバ)の擬似と位置づけています。2楽章を例にとると、ボイスはマリンバの延長、あるいは同族の楽器となり、マリンバのパターンの重なりで現れる様々なラインの強調であったり先駆けであったりするのです。3楽章ではグロッケンに対し口笛とピッコロが同様の役割をなすのですが、もう一つライヒが注力した、同様の音程とリズムをベースに段階的に、しかし完全に音色が変化する(1楽章から2楽章に、また2楽章から3楽章に移行する際のクロスフェード)と言うことを、マリンバの擬似としてのボイス、ボイスからグロッケンの擬似としての口笛、口笛からピッコロへと、同様のモーフィング的な変化をこれらの3つのエレメントにも想定しているのです。
ボイスはマリンバの擬似としての、口笛とピッコロはグロッケンの擬似としての役割を担うと言うことを考慮すれば、それらのパートを彼女自身が受け持つことは納得が行きます。艶やかで煌びやかな音が必要なのではなく、各楽器の擬似、マリンバの様なボイス、グロッケンの様な口笛とピッコロが必要となるわけです。モデルであるマリンバやグロッケンは彼女の専門楽器ですから、この一件不可解な要求をイメージすることは、彼女にとってそれ程難解なことではなかった事でしょう。
さらに彼女は打楽器奏者ですので、ボイスであれ、口笛であれ、ピッコロであれ、インテンポで音を出してきます。実はこれは重要なことで、これらのパートは往々にして遅れがちになってしまうのですが、音色、音程のみならず、リズムもその擬似として楽器の様に発音されアーティキュレーションされる事で、それぞれモデルとする楽器との協調性をより高めるからです。
実際には、これらのことはテイクを重ねていくに従って、その場でその都度行う仮ミックスを通して徐々に発見・理解・確信に至ったことです。もしもボイスはボイスとして、口笛は口笛として、ピッコロはピッコロとして、その使用目的を考慮する事なく、とにかくそれらしく綺麗に録音していたら、正直最後まで気がつかなかったかも知れません。こういった試行錯誤の賜物が、4楽章のあの確信に満ちた歓喜の世界に帰結しているのだと思います。
彼女はこういったライヒの意図を可能な限り実現しようと真摯に考えていました。だからこそ、過去の演奏経験や既存の録音からのこの曲に関する既知の概念を一旦白紙に戻し、敢えて試行錯誤を重ねて追い込んでいく事を選んだわけです。同様に多重録音は彼女にとってこう言う目的を実現する為の手段の一つに過ぎないのです。もちろんこれは今回に限ったことではありません。
非常に詳細な解説をありがとうございます。これだけでCDのブックレットが完成してしまいそうです。録音にはRMEのインターフェイスもお使いとのことですが、RMEの機材の良いところをお聞かせください。
加藤:私にとってRMEの良いところは、音が非常にクリーンでさらに正確であることです。私はHDSP MultifaceからADI-8 AE、Babyface、Fireface UFX、Fireface UCX、MADIface XTと使用しています。
初めて自分の音をMultifaceを通して聴いた時、その「クリアな空気感」と「リアルな楽器の音色」にびっくりするほどの感動を覚えました。
MultifaceからMADIfaceまで様々な機材を使用していますが、1日10時間以上も録音を行うレコーディング現場や、1ヶ月以上に及ぶ長期のセッションであっても、まったくトラブルフリーであるという安定感には驚きです。レコーディング中の機材トラブルというのは良く聞く話ですが、機材や楽器のメカニカルな部分でレコーディングが中断するのは何ともやりきれません。誰もがシビアに「時間との勝負」と感じているので。
寒河江:また録音現場で実際の音を聞きながら、自分の耳で捉えたポイントにマイクを置いて、機材を通してモニターした音がそこで捉えた音と同じである、あるいは同じだと感じる事ができるということ。そこから5センチ動かしたら5センチ動かした分の違いを明確に認識できるという点で信頼を寄せています。
また彼女のライブではCD制作の際のマルチトラックをそのまま使ってオペレーションしますから、様々な会場のアコースティックによるソース音の変化を間違いなく捉えて補正する上で、送り出しのインターフェイスでモニターしている音に対する信頼がすべての基本になります。また演奏のプログラムによってはマルチスピーカーでのオペレーションになりますので、TotalMixの柔軟性は大変助かります。そして何より世界中を旅してもちっとも壊れないということ。
「ドラミング」リリース記念の東京公演をサントリーホールで行いましたが、この時はFireface UFXを使用しました。もちろん「PROJECT IX – PLEIADES」でのパーカッション6パートの6チャンネル再生でも常にRMEインターフェイスが安定的にその力を発揮してくれます。RMEはサウンドと安定性の2点で「演奏する側」にとって最高です。
録音時にインターフェイスとDMC-842の接続にMADIを使用されているとのことですが、MADIの利点はどのようなところでしょうか?
寒河江:演奏エリアとコントロール・エリア間のケーブルの取り回しが極めて楽です。私は演奏者と同じ空間でオペレーションしたいので、演奏の邪魔にならない所を探しながらの機材の設置がとても楽な上、取り込む信号も演奏者が必要なモニターミックスも、またデジタル機器間の同期信号もすべて送れますので大変便利です。
録音に使用されているDAWは何を使われていますか?
寒河江:録音でもライブでもStudio Oneを使っています。βバージョンの頃から知っていますが、Ver.2以降本格的に使い出して以来今に至っています。現場で24bit/192KHzでの作業を問題なく行えるという当たり前の様な事が大変重要なことなのですが、道具として信頼していると言う点で、RMEの機材に対する信頼と同じ思いがあります。実際この組み合わせで長らく使っていますので、バラバラに考えることもできないのですが、DAWはスタジオのコントロール・ルームの主要な機能をコンピュータ上でシミュレートしている訳で、基本的にマルチトラック・レコーダーとパッチベイとコンソールを詰め込んだものです。それにアウトボードの機能をプラグインという形で付加したり、また昨今のCPUの処理能力のアップに伴い、様々な自動化が進んでいます。
私にとっては、基本的なところ(記録と編集の機能)がいかにきっちり作られているかが最大の焦点で、数センチのマイク位置の差異が正確に記録される事、フェーダーやパンのひと目盛の差異や、EQのパラメータの最小単位のパラメータの差異が確実に聞き取れる事が、その信頼の根拠です。
貴重なお話をありがとうございました。これからも素晴らしい音の世界を聴かせてください。
加藤訓子|パーカッショニスト
音楽誌の権威グラモフォンは、「巨匠への通過儀礼もクニコには、勝利の儀式に過ぎない。」と讃し、英サンデータイムズ紙は、「力強く、繊細、根源的でエレガント、見事である。」と評する。
桐朋学園大学研究科修了とともに渡欧。ロッテルダム音楽院をcum laudeを授与され首席で卒業した最初のパーカッショニスト。サイトウキネンオーケストラ、アンサンブル・イクトゥス(ベルギー)、アンサンブル・ノマドなど内外のグループへ参加後、ソロ活動へフォーカスする。2011年 スティーヴ・ライヒのカウンターポイント代表作を世界で初めて打楽器へ編曲したソロアルバム「kuniko plays reich」を英リンレコーズより世界同時発売。アルバムのライブ版公演は、サントリー芸術財団より第十二回佐治敬三賞を受賞。2017年にリリースした「B A C H」 では、リンレコーズの年間ベストアルバムに選出され、国内では、第10回CDシップ大賞を受賞。翌2018年には、ライヒの初期代表作「ドラミング」全パートを世界で初めてソロオーバーダブで録音した同名アルバムを世界リリースし、その東京公演が、平成30年度(第73回)文化庁芸術祭優秀賞を受賞。
英国スコットランドの高音質で知られる世界的レーベル「LINN」からCDを出す唯一の日本人アーティスト。パール楽器・アダムス社(蘭)グローバルエンドーサー。
愛知県豊橋市出身、米国在住。
寒河江ゆうじ|プロデューサー、エンジニア
仙波清彦とハニワオールスターズの主要メンバー(作曲補助、編曲および演奏を担当)として1980年 CBSソニーよりアルバムデビュー。1986年以降パリ在住。『kuniko plays reich』のライブ・プロジェクトのサウンドデザイン及びエンジニアとして参加して以降、『 CANTUS 』『 Xenakis : IX 』『 J.S.Bach : Solo works for Marimba 』『 Reich : Drumming 』に至る CD 及びライブプロジェクトを担当。